台湾旅行記…あぁ、台湾!東日本大震災時、大国アメリカと並ぶ義援金は世界一、大の親日国!!! |
台湾旅行記
阪急交通社の「たっぷり台湾おいしい旅 5日間」の想い出 記録写真
出発日 :2015年11月 8日
帰着日 :2015年11月12日
ツアー参加者(塩釜市シルバーパソコン愛好会有志(奥様):6名参加)
旅程
一日目: 仙台空港→台北→バスにて台中→通豪大飯店(ホテル)泊
二日目: ホテル→市内観光(日月潭観光:文武廟~工芸品店)→高雄へ
高雄市内観光(蓮池潭~寿山公園)→フェリーにて旗津→
高雄真愛館(ホテル)泊
三日目: ホテル→民芸品店→台東へ→郊外観光(台東天后宮~三仙台
~八仙洞~北回帰線標塔→花蓮→花蓮煙波大飯店(ホテル)泊
四日目: ホテル→太魯閣渓谷→大理石店→列車で七堵→バスで九份
→台北→市内観光(故宮博物館~民芸品店~金品茶楼~食後が菓子店~土林夜市)→三特大飯店(ホテル)泊
五日目: 台北ホテル→台北空港→直行便で仙台空港
飛行機で初めての海外旅行
11月13日 塩竃市シルバーパソコン愛好会員 Y・H記
私は74才になる。残されたこれからの人生に於いて、おそらく大嫌いな飛行機に乗る機会もなく、憧れても外国に行くのも無理だと思っていた。その私に同じパソコン愛好会の会員Y・Kさんに熱烈な勧誘を受けたのである。 Y・kさんの海外歴は同じ会員のR・Hさん同様、私に言わせれば仕事の合間に海外に行ってるのでは!と思わせるほど、しょっちゅう行っている感じなのである。
そのY・Kさんからの誘いと、近い海外でたった3時間の台湾だからと、仲間のけしかける盛り上がりから、ついその場の雰囲気に押し流されてしまったのである。ただ行く先が台湾という話であった為、元総統李登輝の国、あの東日本大震災時、アメリカと台湾が世界一の義援金を送ってくれた事、日本統治時代、日本人八田与一がアメリカの専門家から不可能と言われながら当時世界一の烏山頭ダムを建設し嘉南平原の不毛地帯を大穀倉地帯に変貌させ、その業績は高く評価され銅像も立てられ神格化されている事等から、心が動いたものである。
驚いたのは私自身だけでなく飛行機嫌いを知ってる女房や家族達でもあった。
パスポートの申請や諸々の手続きを進める中で、次第にその気になって来たものの、出発の日も迫って来ると顔では平静を装うものの、気持ちは極めて憂鬱になって来たものである。
情けない事に出発3日前には別の会員に交代をお願いしたりもした。選手交代が出来ないか!観光会社に叶わぬ願いと知りつつも問い合わせもしたりした。・・・・
ご一緒して頂くのは気心も合う5人の皆さんだった。情けない事に、いざ、台湾、台北に向け仙台空港を離陸する際はどうしても覚悟を決めざるを得ない。台湾まで3時間、その間大丈夫であって呉れ!と祈るも、右窓際から主翼の揺れがまともに見える席、アップダウンする主翼、突然機体が急に下がったり上がったり、…正直、御巣鷹山の墜落事故を想像してしまった。
乱気流に巻き込まれているようだ。これで皆さん方は皆平静なのだ、私は恐怖である。
飛行機嫌いの人は異口同音に言う。「あんな重い鉄の塊が飛ぶ事がおかしい、理屈で分っていても頭では受け入れられない、自分が乗った時に限って落ちるのではないかと考えてしまうのだ」
勧める人は・・・絶対落ちないから!とか、乗り物では一番事故率が低くて安全なのだ!とか言われる。 と言われても、落ちない保証はあるのですか?落ちたらほとんど死んでしまう訳でしょ。
私は皆さんの様に人間が出来ていないし割り切れない。未だまだこの世に未練があるのだ。
死のリスクはあまりに大きい。 乱気流に遭遇したとき私は、無事着陸しても、もう絶対に飛行機には乗るまいと思った。
3時間後、台北空港に着陸した。安堵した。Y・kさんは海外旅行は超ベテランだ。安心できるリーダー役だ。私の感想を言うと、Y・kさんは「…私も3割方落ちるんではないか?と思った・・・」と。私は絶句である。私は心の中で、もう駄目だ!帰りが無事であって呉れと思うばかりである。
こうして台北の地に足をつけ旅は始まった。
……後でもう一度Y・kさんに確認したら「落ちる話?あ、あれ?あんまり真剣だったので、一応話を合わせておいたんだ、あれしきの揺れ何でもないからって!」だって!。
「たっぷり台湾おいしい旅:5日間」ツアー参加者記念撮影
16名参加家族的仲間
二日目 通豪大飯店にてバイキング朝食
台中 宝覚寺
台湾初めの観光地は宝覚寺。湾の中心部の観光スポットです。高さ30mの黄金色の弥勒大仏(台湾で2番目に大きい大仏だそうです。)が有名です。戦前、台湾中部で亡くなった日本人移民の遺骨が奉納されていて墓地もあります。ツアーで同行されたお菓子屋さんの旦那さんがそっくりで疲れも癒やされました。
台中 日月潭観光:文武廟
文武廟から見た日月潭湖の周辺は2000m級の山に囲まれていて、海抜760m、面積100平方km、周囲37km。日月潭という名称は、朝夕で表情に変化のある湖、ということに基づいていると言われ、湖の北側が太陽(日輪)の形、南側が三日月の形をしていることからこう呼ばれるようになったそうです。このためか、神秘の湖といわれています。香港がイギリスの植民地となって間もない1847年に建てられました。
文武廟という名前の通り、
廟は前殿、中殿、後殿の三殿様式になっており、前殿は文廟で文の神である孔子が、中殿は武廟で武の神である岳飛や関羽が祀られています。廟としては台湾で最大級のものだそうです。
兎にも角にもこの精微さと配色には驚かされる。
二日目 台中から高雄に向かう途中の台南の烏山頭ダムの堤防
日本統治時代、この台湾南部は農産物も取れ難く、雨が降れば氾濫したり、マラリアなどの伝染病も蔓延した。衛生事業としての上下水道整備やアメリカの技術者達がここを視察し、ダム建設は到底無理、不可能と言ったが、当時、世界一のダムを完成させて膨大な地域を大穀倉地帯とした若き技術者八田与一の功績は高く評価され銅像も立てられ神格化されています。
別の資料本から八田の事を知っていた私は台湾に行くなら是非ここを訪れてみたかったのだが残念ながらダム堤防を見ながら通過されてしまった。観光会社は、是非堤防の上に上がるだけでもいいし、銅像を見るだけでもいいから廻って欲しいと思うものです。
因みに八田は任務途中、戦争で魚雷でやられて亡くなり、奥さんは終戦後ここから身を投じて亡くなったが、台湾の人達は人柱となって守ってくれていると信じているそうです。(黄文雄著 世界から絶賛される日本人…をお勧めします。)
この烏山頭ダムは、日本人観光客やツアーでは是非廻って頂きたい所です。
二日目 高雄市内観光 蓮池潭
高雄の観光名所です。蓮池潭(れんちたん)は、人造湖だそうです。観光スポットになっています。
敷地内にある春秋閣は1951年に、龍虎塔は1976年に建てられたといいます。
台湾らしい建物がこの周辺たくさんあります。歩きだと池を蓮が浮かぶ場所もあり、広々とした湖沿いに寺廟が並んでいて中国風の建物なのでとても興味深いです。建造物を何でこんなに大きくするのが好きなんだろうかと思います。龍虎塔は龍の口から入って虎の口から出るのだそうです。龍から出る事によって過去の悪行が全て消されると言われているのだそうです。
くねくねの橋は悪魔はまっすぐに歩けるがくねくね曲がっては歩けないと言われている。悪魔が渡って来れないように、この様に曲がった橋が架けられていると言います。(ネット)
龍虎塔は写真で見ると積み木みたいで意外に大きさが分らないようだけど11mもあります。因みに有名なのは、やはり開運効果があると共に風水でも龍虎塔は「パワースポット」と言われているからだそうです。
お~ぉ~い!向かいの塔から呼んでいます。
ご夫婦です。
二日目 高雄観光 寿山公園
私達が行った所は全部ではなさそうです。(ウイキペディアによると)寿山浜海に臨んで位置する山の一つで、高雄市の海の自然の障壁である。その山の上に寿山公園、竜泉寺、千光寺、法興寺、元亨寺、忠烈祠、動物園などの観光名所がある。その中の寿山公園では、港の眺望や湾に沈む夕日、高雄市の夜景を鑑賞することができます。
寿山は高雄市民にとり憩いと休息、登山、自然観察、人文活動などに欠かせない行き先となっています。寿山の南には寿山公園、動物園があり毎年30万人の観光客のを引きつけます。寿山は更に市民にとって休日の登山、レジャーなどに人気のある場所となっています。
寿山公園のこのLOVE像は若いカップルのデートスポットだそうですよ!
シルバーーさん!若い頃に戻っていますね!
宮殿造りで日本軍部の神社であったそうです。
フェリーに乗っていざ旗津へ
旗津 夕食
旗津にはフェリーで行った。昔は繋がっていたけれど船を通す為に切り離されたとの事。成程直ぐに着く。料理店が圧倒的に多い。私達も海鮮 料理に舌つつみを打った。
食べて帰って来ると、バイクや自転車がフェリーに乗る為ずーっと繋がっている。
観光客だけでなく通勤に使用しているようだ。
レンタル屋さんも多くやはり個人で来るにはそれを利用した方がよさそうだ。
三日目 台東 台東天后宮
台東最大の廟だとの事。兎に角きらびやかで精緻な彫刻が目に入ります。
后宮は、媽祖(まそ)を祀る廟だとの事。航海・漁業の守護神として信仰を集める道教の女神なんだそうです。
建物は艶やか、きらびやか、豪華で、特に屋根の飾りが華やかです。
台湾にはこういう建物、装飾が多い様に思いますが、いかにも台湾らしい宮です。
日本人にはどうやって拝むのか分らずただただきらびやかさに目を奪われて眺め通るだけではないのかな!と思います。
街の住宅街のようなところに建っていて、「19世紀末に反乱を海の神の助けで収まることができたというので、この地に海の神の像を奉納した」と言われています。
皆さん若いね! メンバー勢ぞろい!
この艶やかさは見事!という他ない。
台湾独特の文化と認めざるを得ないね!
三日目 台東郊外観光 三仙台
台東市の北方約65kmにある巨大な三つの岩か並ぶ観光名所。元々は火山岩からなる岬が、海水の浸食を受け先端が離れ小島となったと言う。
伝説によれば、3人の仙人がこの地に滞在した際の痕跡がこの島の中央にある3つの巨岩で、このため三仙台というそうだ。仙人が三人だから三仙は分るが岩の事を台と言うのだろうか!
巨石好きな私にとっては見逃せない所だが残念ながら石ではなく岩と言うべきなので勿体ない。
ロッククライミングのメッカとか、金銀が採れるとか、特別な何かがなければ日本では無駄な事止めろ!遠くから眺めてりゃいい!でしょ。でも、結果的には八仙洞や三仙台として台東の観光の目玉になっているんだからね!
時間があれば試みに八つの橋を渡って海をまたいで島に上陸してみたかったけど、・…無理だったべな!
台東郊外観光 八仙洞
八仙洞は約130年前に発見された台湾の遺跡の中で最も古い遺跡と言う。
霊岩、潮音、永安、乾元、海雷など十数の洞窟があるとの事だが、各洞窟へと結ぶ歩道も整備されているとあるが一ヵ所しか見られなかった。
洞窟内から旧石器時代の遺跡も発見されたと言われ、台湾の一級史跡に指定されてます。
最近の調査では、洞窟内から古い火を炊いた跡も発見されて、放射性炭素年代測定をした結果、2万年以上前のものであると測定されたそうです。
ガイドさんがこの形は各自見て判断して下さい、と意味ありげに言ってたが、万物を大まかに二つに分けた分類には、上と下とか表と裏とか、 男女の陰陽とかあるんだから陰陽石の陰石とでも言えばいいのでは? それにしても古代人が生活するには雨も防げるし、格好の場所だったに違いない。
台東郊外観光 北回帰線標塔
北回帰線とは、名前は知っていても意味が分らない。(ウィキペディアで調べてみる。)
『太陽が地表を照らす角度(太陽高度、仰角)は季節と時刻によって変化する。いちばん角度が大きくなる正午ごろの場合(このときの太陽の角度を南中高度という)、春分と秋分の日には赤道上で鉛直に照らす。また北半球の
夏至には北緯23度40分で、北半球の冬至には南緯23度40分で太陽が鉛直に照らす。
この緯度が最も高緯度で太陽が天頂に来る地域であり前者を北回帰線、後者を南回帰線、あわせて回帰線と呼ぶ。』とある。
でもぴんとこない、 北回帰線に近い都市は世界に八カ所あるが台湾のここ嘉義市はその一つとの事。
四日目 太魯閣 太魯閣渓谷観光
観光情報VELTRAさんによると、『太魯閣渓谷、 通称タロコ渓谷は台湾原住民タロコ族の言葉で「連なる山の峰」と言います。高さ1,000メートル以上にも切り立つ太魯閣渓谷(タロコ渓谷)は 台湾東部の花蓮県を流れる河川である立霧渓が大理石の岩盤を侵食して形作られた大渓谷です。自然の力によって作られたん岩石と水流の景観が美しく、台湾の中でも人気がある屈指の観光地です。
太閣国立公園は、もともとタイヤル族が住んでいた地域でした。彼らは、農耕と狩猟で生活をしていました。
ある時、タイヤル族のうち、東セデック亜族の太魯閣族とタウサイ族は、東と北を目指し大規模な移動をしました。
そして部落は増え続け、 1930年 太魯閣山中には79の部落がありました。 1914年5月31日「太魯閣征伐軍事行動」がなされ、約60日の激戦の末、太魯閣族の集落は日本の統治下に置かれ、戦後になると彼らはこの地を離れていきました。
見どころは太魯閣峡谷は、大理石の岩山が、長い年月をかけて川に浸食されてできた岩石が連なっています。
太魯閣観光のコースは、 天祥の旅客サービスセンターを起点とし、山麓の太魯閣国家公園管理処までバスなどで観光します。 渓流は山に沿って流れていて、 徒歩の場合は、 20km、5時間かかります・・・』私達は本の入り口程度しか行けなかった訳です。でも眺めてるだけでもその片鱗は覗き見る事が出来ました。
昔の写真もあったので撮って来ました。黒部の開発当初を想像してました。
昔の写真1・・・採掘してるのかな?道路を整備してるのかな?多分大理石を採っているんだ!
エィッ!仕事の邪魔なんだよ!
四日目 太魯閣から列車で七堵駅へ
四日目 九份 映画の舞台で有名な九份
ノスタルジックな雰囲気漂う街…千と千尋の神隠しの舞台となったレトロな街。
九份に行くまでの道は、ほぼ山道です!台湾は只でさえ、道が狭く感じるのに、ここ九分に行くのに「こんな狭い道でバス同士がすれ違えるか!よくぶつからないですれ違い出来るものだ!」と感心します。山の中腹にある観光地のため、坂が多く、道は狭く、階段の昇り降りが大変です。
この日はあいにくの雨、余計しんどい。体力に自信のない方は相当こたえるかも。傘を差しながら人人の間を抜けながらという表現が良いのかな、人の波、それにゴキブリや野良犬も目に付いた。『千と千尋の神隠し』の世界に似ていると思うものの、先ずは食事。あとは自由時間となった。
外に出てみれば雰囲気はやはり千と千尋に似ている。でも現地のガイドさんが言うには宮崎駿監督は違うと言ってるとの事。本人が違うと言うのだから違うのだろうけど、観光客は信じて疑わないようだ。ここは昼より夜が最高だと思う。提燈の明かりがなんともいえず美しい。賑わった昔の田舎の祭を思い出させてくれるどこか懐かしい雰囲気を感じる。
話が飛ぶけど、九份はその昔、家が9軒しか無かったことから「九份」という名前がついたとの事だが、会津から日光に行く途中の村落に約束事があり21軒しか住めない所があるのを思いだした。台湾だったら、さしずめ、21份と言うことになるんだろうな~。(蛇足)
四日目 台北 台北最大級の屋台が並ぶ土林夜市
台湾を訪れる外国の観光客人気のスポットになっているようだ。台湾では、夜市はあちこち年中やってるようだけど、中でもここ士林夜市は最大の夜市のようです。 毎日がお祭りのような、そして地方色豊かな雰囲気の中で、現地のおいしいモノを食べあさります。シルバーの私が言うんです、若い諸君は絶対行くべきです。値段も手ごろの様で、色々な料理を食べ歩くことができるようです。店舗は飲食物や衣料品、生活雑貨、遊戯などの様々な屋台が出ていて、多くの観光客?で賑わっています。日本人観光客も結構いた様です。
地下に行ってみたが、食べ物屋さんの屋台がず~っと連なっています。私は「金品茶楼」であつあつの小籠包を食べた後なのでただ見て歩くだけだったが、雰囲気は大いに楽しめた。地下から路上に出てきたら、10mほども離れているのに大声で掛けあいをやってる女性同士に出会ったが、いかにも中国人のようだった。ネットではよく見掛けるのだが台湾で実際に見てやはり素養の面が今一の感じで眉を顰めざるを得ない。
四日目の宿は、三特大飯店(ホテル)泊まり
五日目 台北→台北空港→直行便で仙台空港へ
・・・・・・・・・略…・
帰りも又、右主翼の上、うって変わって、翼は微動だにしない。全く安定したフライトである。エンジンの音が心地よくさえ聞こえる。眼下に見えるのは綿のような雲、来る時とは雲泥の違いである。
3時間後、無事仙台空港に着陸、青空である。やはり大地は良い。三陸道を走ってると町並みは異様に鼠色っぽく感じる。派手派手な台湾の観光施設や街並みに慣れてしまったのだろうか?
皆は、「…ねっ!何にも問題なかったでしょ!自信付いたでしょ!来年は上海だね!…」という。いやいや、帰りが良かったからって、帳消しには出来ませんよ!今の気持ちは、もう飛行機はこりごりという気持ちだもの。中古軽バンのマイカーだけど、青森だって、京都だって、奈良だって、島根だって、2000キロだって、3000キロだって、自分で運転して、『巨石探しをしながら旅』するのが一番に思えてるのだから・・・・・・。
ご一緒して頂いた皆さん、色々お気を使って頂いてほんとにありがとう!
シェシェ、シェシェ!